【実話】僕が副収入源を増やし続けてお金を追い求めている本当の理由。

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こんにちは。人生一度きり!
投資歴11年、経験してきた投資は、ナンバーズ、FX、日本株、米国株、不動産投資、太陽光発電、シストレなどありとあらゆることにチャレンジしてきたコアラ太郎(@koala_taro)です。

好奇心を満たすために、組織、時間に縛られない自由人を目指してブログ運営をしています。

 

僕が、お金や投資などにガツガツしている本当の理由を知らない方がほとんどだと思います。

変に誤解されていたら嫌なので、真面目に幼い頃に経験した暗〜い過去と思い出話を正直にお話していきます。

親友にも話したことないようなマル秘な話ばかりをぶっちゃけていたいと思います。

かなり長い記事なので、読んで頂けたら幸いです!

要約

  • 良い暮らしから、父親の借金で家を差し押さえされ一家バラバラ。
  • 母親は1日3つ仕事を掛け持ちして生活を支える。
  • 母親の身体が無事だったから良かったが、母親が倒れていたら今頃どうなっていたかわからない。
  • 労働以外で収入を得る方法がないとリスクがある。(不動産、株、などの投資)
  • お金の問題は、家族の不仲をうむ。
  • お金は、ある程度なくてはならいものだと痛感した。

裕福な家庭から一転、父親の借金で家を差し押さえに至るまで

僕は幼い頃、わりと良い暮らしの中、育ったらしいです。

育ったらしいというのは、小さい頃なので良い暮らしをしていたという感覚はありませんでしたし、他の家族がどんな生活しているかわからないので、親から聞かされた話しによると、少しだけ良い暮らしをしていたそうです。

僕は、両親と、兄妹3人の5人家族で育ちました。

僕には、姉2人がいるので末っ子長男として生まれました。

習い事は、公文式、バイオリン、英会話も習っていました。

そろばんも、数日間だけ言っていた記憶あがあります。(理由はわからないが、来ないで良いと言われて辞めさせられた記憶。笑)

この良い暮らしをしていた時期は、当時、父親が働いていた会社の給料がそこそこ良かったと聞いています。

というのも父親は金融業で、営業をさせたら右に出る者がいなく何年間も連続してノルマを達成し常にNo.1トップセールスの営業マンとして表彰され続けていたそうです。

それもあり、当時は給料は良かったと聞かされています。

良い暮らしをしていた時期は、僕が幼稚園生から小学校低学年くらいの記憶です。

マンションを購入し、そこで家庭円満に生活をしていました。

しかし、

ここから借金地獄が始まる

これまでの生活から一転、ある時期を境に家庭はバラバラになり借金だらけの家族になりました。

そのお金のトラブルが始まったのは僕が小学校中学年あたりの頃からだと思います。

常にNo.1営業マンだった父親が自分の営業成績があれば、独立しても成功すると信じて独立をしました。

勢い良く独立したのはいいものの、自分のセールスの能力だけが唯一の頼りで、それ以外のマネジメントだとか経営のノウハウ、財務、経理などの知識がありませんでした。

なんとかなると思って独立したんでしょう。

これを沖縄の言葉で「なんくるないさぁ〜」と言います。笑 僕も大好きな言葉です!笑

なので、当然、独立後の経営は思わしくありませんでした。

さらに、父親は人が良いため、人に貸したお金を返してもらうことができずに泣き寝入りをしてお金を失ったことがあったと聞いています。

まずここで、ある程度の借金ができたと聞いています。額は定かではありません。

そんな中、父親はもう一つビジネスをすることになりました。笑

知り合いの麻雀屋の経営を引き継ぐことになったのです!笑

なぜ雀荘を経営することになったかわかりませんが、父親が麻雀が好きで通っていたお店の店長から店をつがないか?

と言われて継いだと言っていたような記憶があります。

僕もたまに父親の経営する雀荘に行って遊びに行ったことがあります。

なので僕は、小学校3年生の頃には、麻雀の役を一通り全て覚えるまでになり、テレビゲームの麻雀では負けることがないほど上達しました。

その後、案の定、その麻雀屋の経営も傾き、借金だらけになりました。

お金がないと夫婦は喧嘩が増える

借金だらけになると、父親と母親は毎日ケンカをしていました。

子供である僕らは、毎日のケンカを見ていたので強いストレスを毎日受けていました。

その時、子供ながら脳に染み付いたことは、

「お金は無いと困るし、お金が無いとケンカが増えて夫婦の仲を悪くするもの」だと。

最終的に、膨れ上がった借金により、私たちが家族5人が住むマンションが競売にかけられるて差し押さえになることとなりました。

差し押さえが決まるまでには、毎日のように借金取りから、取り立ての電話や訪問。

家に借金取りが訪問するときは、ブラインドの隙間から覗き見をして、居留守。

怯える毎日でした。

その経験から、いまだに家に訪問する郵便配達以外の人には居留守が習慣となっています。笑

もしも借金取りからの電話を取ってしまった場合は、「父親の消息は知らない」と言ってました。

差し押さえの日の直前には、ピアノやテレビなど差し押さえされそうな家財道具を親戚の家に移動したりもしました。

しかし、差し押さえの期限(家を出て行かないといけない期限)までに次に住む家を見つけなければならないが、退去2週間前まで、次に住む家がまだ見つからない状況でした。汗

僕は中学3年生にも関わらず、ひたすらコンビニで不動産の本を立ち読みし、めぼしい物件を見つけては母親に報告して家族総出で家を探し回ってました。

たまたま運良く、退去期限目前に、差し押さえされるマンションから500メートルほど離れた家賃70,000円の一軒家に住むことができました。

これが、僕が中学3年生の夏頃です。

その家で、家族5人で住むことになりました。

高校生の長女がアルバイトをし、家に家賃の一部としてに2万〜3万円を入れていたような記憶あります。

僕が高校の時の部活の合宿の費用も長女が負担してくれたようなこともありました。

すごい優しい姉です。

しかし、この家でも最終的に、父親が家賃を払えなくなり、家賃滞納で退去させられる事となってしまいました。

それが僕が大学1年生の夏の頃。

家族バラバラ生活スタート

ここから家族は離れ離れに住むことになります。

長女は年齢的に一人暮らしを始めて、次女は大学進学で一人暮らしを始めました。

さらに父親とは別居がはじまり、僕と母親の二人暮らし生活が始まりました。

僕と母の2人で家賃55,000円のアパートに引っ越しすることになりました。

僕も大学生なのでアルバイトを始めました。

親の背中を見ていたので、僕も自然とアルバイトを2つや3つ掛け持ちして働いていました。

実は、ここに至るまで、借金だらけの家計を守るために母親は、平均睡眠時間3時間で、一日に3つの仕事を約8年間もの間かけもちしていました。

  • 朝は8時半から夕方5時まで不動産屋の事務職。
  • 夜は11時から深夜1時まで近所のパチンコ屋の清掃。(タバコが大の苦手なので、今思えば相当辛い環境で働いていたと思う。)
  • 深夜3時から朝6時まではマイナス10度の中で、冷凍食品をスーパーへ仕分けの冷凍食品の仕分け作業

寝る時間はほとんどありませんでした。
あっても、数時間程度でコマ切れです。

その3つの仕事の合間に母親は、僕ら子供達3名のために、

  • 朝ご飯、お弁当、夜ごはん
  • 洗濯
  • 掃除
  • 車での送迎

全てこなしていました。

僕の母親は、本当に鉄人です。スーパーマンです。超人です。

母親に対しては、尊敬しかありません。

父親は借金だらけの麻雀屋を切り盛りするために基本的に家にはいませんでしたし、当然ながら、家にお金を入れる余裕もありません。

なので事実上、母子家庭のような環境で僕は育ちました。

父親とは、ほぼ別居状態。

離婚してるといってもいいような状況。

年末年始になると先ほどの、3つの仕事以外にも沖縄そばの年越しそばのマネキン(スーパーでの試食販売)をするパートもしていました。

母親は、ものすごいセールスを上げる為、毎年声がかかり毎年年末限定でマネキンをしていたのです。

なので時期によっては1日に4つも仕事をしていたことにもなります。

子供の事を想う愛情が超人的な過酷な生活を送ることを可能にしていたんだと思います。

子供のために、火事場の馬鹿力を毎日出していたんだと思います。

僕ら子供を守る為に、このような過重労働ができたんだと思います。

昨今、働き方改革などで過重労働が叫ばれていますがその当時の母親の働き方は、まさに地獄だったと思います。

そんな過酷な生活にもかかわらず母親は病気1つせず、体も丈夫で何とかやってこれました。

もし、母親が身体を壊していたら僕らは兄弟はどうなっていたんだろう?

最高の友達と出会う場となった、高校にも進学できなかったんじゃないか?

そう思うと、母親には感謝しかありません。親孝行をして還元をしないといけないと思います。

50歳の母親の就活

母親はこのような地獄の生活をから抜け出すために、50歳手前でしたが、正社員を目指すよう就職活動をすることになります。

正社員になれば、1日に3つの仕事から解放されると考えたのです。

母親が目をつけたのが、アメリカ米軍基地内で勤務する職員。
いわゆる「軍雇用」という職業です。

沖縄では米軍基地で働く人の事を「軍雇用」と言います。雇用主は防衛局なので沖縄では軍雇用は準公務員と言われるほど、人気のある職業です。

待遇は、階級にもよりますが国家公務員に準ずる傾向があります。

英語が全くしゃべれない中、アメリカ米軍基地での正社員を目指して日々面接を受け履歴書を出しまくってました。

英語の勉強してるとはいえ、ほぼしゃべれないに等しい英語レベルで、熱意だけで面接に挑む日々を送りました。

鉄人。スーパーマンの僕の母親です。どうなったか予測つくと思いますが、

最終的に英語のしゃべれない50歳のおばちゃんが正社員(軍雇用)になることができました。

結局のところ、熱意と諦めない気持ちがあれば、人は何でも叶える事ができると学びました。

どんな自己啓発本、ビジネス書より、母親の背中ほど説得力のあるものはありません!

もちろん、コネは一切ありません。熱意だけで軍雇用を掴み取りました。

この軍への就職こそが母親、そして僕ら家族の生活の転機となりました。

軍雇用になれたことで、母親は3つの仕事を辞める事ができ、軍雇用の仕事一つで僕ら子供を養うことができたのです。

これが僕が大学1年生の時です。

それからは、母親は睡眠時間も十分にある程度取れて、これまでの生活から解放され生活できたと思います。

母親には、本当に尊敬しかありません。

子供を守りたいとう母親の思いは、本当に凄い力を発揮させると痛感しました。
「誰かの為」という目的がない状態で、母のような働き方をしたならば、絶対に1年も続ける事が不可能な働き方だと思います。

命を削って1日3つの仕事をほぼ眠らずに働いていた母親のアルバイト収入は、月に20万円届くかというところでしょう。

一日中、睡眠を削って働いても時給制の仕事だと限界が必ずあります!

母親の体が鉄人並みで強靭だったので無事でしたが、もし母親が体を崩していたならば僕ら兄弟3人の暮らしはどうなっていたんだろうと思いました。

母親は子供の健康を考えて昔から、インスタント料理を利用せずに、欠かすことなく手料理を作ってくれました。

もちろん節約に重点を置きながら。

一円でも安く生活費を節約できるように、常に節約生活をしていました。

そのこともあり僕も高校生ながら一円を大切するような節約する生活を心にかけていました。

なので、節約キャラ、お金にセコイキャラをネタにして学校では笑いにしていました!笑

そんな生活なので、贅沢やわがままは言わないようにしていました。

僕が所属していたバスケットボール部では、バスケットシューズが古くなっても買いたいと言う事はできませんでした。
部活で着る運動着も少ない枚数で回していました。

バスケットシューズも友達からもらったりしていました。

小学生の頃には、姉からのお下がりのバスケットシューズのつま先部分にストッキングを詰めて履いていました。

僕が高校生の頃には、母親が米軍基地でのアルバイトで軍人さんからもらった30cmを超えるような大きなシューズを履いてバスケットした時期もありました。

かなり大きめのバスケットシューズで部活をしていたことを、当時の部員や友達は覚えてるでしょう。

バスケットシューズだけでなく外で履く靴も軍人さんからのおさがりの30cmの靴を履いていました。

ここまでの過去の悲しい懐かしい思い出話を聞いたら、

僕がお金にガツガツしている理由がわかりましたでしょうか?笑

  • 小学生の頃に、父親の借金が原因で家を差し押さえられる。
  • 借金のせいで両親のケンカが絶えなくなる。
  • 家族がバラバラになった。
  • 母親が命を削って、死ぬもの狂いで働かざるを得なくなった。

1日は24時間。身体は1つ。

身体1つで、寝ずに働き続けても、せいぜい稼げる額は限られています。

働きすぎて身体を壊したり、病気になって働くことすらできない状態になってしまったらどうしますか?

身体1つだけからの労働収入を得る事がとてもリスクが高いと僕は思っています。

自分が働かなくても、自分が寝ている間に、自分の分身が働いてくれるような、仕組みで収入を産む仕組みを作らなければ、リスクのある人生になると僕は思います。

勘違いをして欲しく無いのは、
僕は、ネットワークビジネスやネズミ講をやれと言ってるわけじゃないですからね!

やるつもりもないですし、興味もありません。
なので、勧誘もしないでください!笑

こういう考えを発信していると、そういう怪しいビジネスが好きだと思われがちで勧誘が来るのですが、興味ないです!笑

僕が言いたいのは、
例えば、

  • 不動産収入
  • 株の配当金
  • 自動販売機からの収入
  • 看板広告収入
  • 太陽光発電で売電収入
  • ブログでのアフィリエイト収入
  • 本を出版して印税収入
  • 曲を作詞作曲して印税収入
  • NEVERまとめで収入を得る
  • YouTuberになって収入を得る
  • Airbnbで民泊で収入を得る
  • カーシェアで車の所有費用を抑える
  • ストックフォト(写真をネットで販売)で収入を得る
  • 飲食店の覆面調査で外食費を抑える
  • ビジネスオーナー(経営者)となって従業員や会社に働いてもらう

などです。

現代はありがたいことに、ネットを使えばどんな方法でも収入を得る方法が開かれているのです。

とにかく労働収入だけや、一つの収入だけに依存して働く生活には、リスクがあると言いたいのです。

今、働き方改革で副業や兼業について議論されてますが、僕は大賛成です。

1つの仕事に依存するのはとてもリスクがあって危険です。

その会社が未来も存続し続けるかわかりません。

信じれるのは自分自信だけです!

東京電力、東芝を見てください。
あの大企業がこうなると誰が思いましたか?

もしかすると、公務員だって、国が破綻したらどうなりますか?
将来は何があるかわかりません。

もし、あなたがいくつもできるスキルがあるならば、そのスキルの数だけいくつも働いて収入を得ていいと思います。

副収入を得てリスク分散、ポートフォリオを形成するのです!

大量の生卵を一つのカゴに盛ってカゴを落としてしまえば、全ての卵は、割れてしまいます。

複数のカゴを持って、全ての卵が割れるリスクを減らしましょう。

僕らが老後になる時代には十分な年金がもらえるとは思いません。

老後に、ゆとりある生活を年金で保障されるとは思いません。

今後は、確実に複数の仕事や収入を得ることが必要な世の中になります。

そうでなければ、多くの人が老後貧乏になるはずです。

僕はそう思います。

そういう意味でも株に投資するなり、自分への投資だったり、副業だったり、副収入だったり自分が働かなくても自分が寝ている間にもお金が少しでもいいから入ってくるようなことをすべきと僕は考えるんです

これが、「僕がお金にガツガツしている本当の理由」です。

そして、最終的には、好奇心が旺盛すぎてやりたいコトが多すぎる僕は、時間が必要だというところに行き着きました。

僕は、お金持ちではなく、時間持ちになりたいのです。

時間持ちになって、寝ている間、旅をしている間、遊んでいる間に好奇心を満たしたいのです。

自分の分身にお金を稼いで欲しいのです。

そうでもしないと、僕の超強烈な好奇心を死ぬまでに満たすことが時間的に足り無いのです!笑

以上。

長々となりましたが、これが僕が過去に経験した、親友にも話した事がない実際のお話でした。

めでたし。めでたし。

よしっ!親孝行しよう♪

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