トクする情報、タメになる情報を発信して「自由な働き方」を目指しているコアラ太郎(@koala_taro)です。
昔から、お金を稼ぐ事が好きで、バイト掛け持ちや隙間時間があればすぐに単発の派遣のバイトを入れていました。
その結果、思い出せる体験済みの仕事だけで33種類ありました。体験から得た事やその経験から今に至る考えを記事にしたいと思います。
以下、経験済みのお仕事
- ことわざ・四字熟語調べ(小学生低学年時代)
- 母親の白髪、脇毛抜き(小学生低学年時代)
- 牛乳1本飲むたびに10円(小学生低学年時代)
- 運動会でかき氷、水飴の販売(中学生時代)
- 結婚式場のウェイター(高校生時代)
- 某イタリアンレストランキッチン(大学生時代)
- コールセンター業務6種類(大学生時代)
- 焼肉店接客(大学生時代)
- 外国人BAR(大学生時代)
- アイスクリームの箱詰め(大学生時代)
- アイスクリーム店の接客(大学生時代)
- アイスクリームの工場(大学卒業後)
- キッチンの配送(大学生時代)
- イベントの設営、運営(大学生時代)
- 引っ越し(大学生時代)
- 駐車禁止取り締まり対策(大学生時代)
- ケータイのアンテナ設営補助(大学生時代)
- 着ぐるみのバイト(大学生時代)
- パイナップル試食販売員(大学生時代)
- 交通量調査、渋滞調査(大学生時代)
- バス内でアンケート業務(大学生時代)
- 街頭アンケート調査(大学生時代)
- 道路の白線引き補助(大学生時代)
- 小学生の宿泊学習の引率(大学卒業後)
- 真夏のレンタカーの洗浄(大学卒業後)
- 選挙スタッフ(大学卒業後)
- 某IT企業(大学卒業後)
- 村田製作所での期間工(大学卒業後)
- 深夜の沖縄そばの仕分け(大学卒業後)
- 現在のサラリーマン(現在)
- 不動産投資家(現在)
- ブロガー(現在)
- 株投資家(現在)
小学生の頃からお金を稼ぐのが好きだった。
僕は昔から、お金を稼ぐ事が好きでした。
大学生の頃になり、本格的にアルバイトを始めました。
求人情報雑誌を眺めるのが好きで、時間が空いていれば次々とバイトを追加していきました。
2つ以上のバイトを掛け持ちして働く事が多かったです。
自分がお金を稼ぐ事が好きなことを振り返ってみると、きっかけは小学生低学年の頃からお金稼ぎをしていたことを思い出しました。
それが、人生で初めての労働だったのかもしれません。それは以下の3つです。
- 四字熟語やことわざ等、気になる言葉調べ(1ワード10円)
- 母親の脇毛、白髪抜き(1本1円)
- 牛乳飲み(1本飲むたびに10円)
今思うと、母親の発想に感謝です。笑
四字熟語やことわざ等、気になる言葉調べ
この労働のおかげで、知的教育をしながら、お金を稼ぐことを同時に身に付ける事ができました。
リビングに、小さな辞書がありテレビなどを見ているときにわからない言葉が出てくると調べてました。
辞書で調べては、調べた数をホワイトボードに「正」の字で記入し、1ワード10円のお小遣いをもらっていました。
その教育のおかげで、今では気になる事があればすぐにインターネットで調べる習慣が付いています。
むしろ、ネット検索で知識を増やす事が趣味となっております。
母親の脇毛、白髪抜き
今思うと、ブラック労働以外なにものでもありません。笑
労働の報酬単価は、毛1本1円。
母親は、うまいビジネスを考えたものですね。。。笑
ピンセットでひたすら毛を抜く労働でお小遣いを稼いでいました。
瓶の牛乳200ml飲み
これは、子供の身長が伸びてほしいという親の願いをうまく利用したお小遣い制度でした。
牛乳を飲めば身長が伸びると言われている都市伝説的な内容ですが、ひたすら僕も身長が伸びるもんだと思い1日1リットル分の牛乳を飲んでいました。
1リットルのパックの牛乳を200mlの牛乳瓶に移して冷蔵庫に冷やし、飲んだ本数をホワイトボードに書き込んでいました。
飲んだ本数に応じて1本10円をもらっていました。
僕は、牛乳を飲むとお腹を下すタイプ(乳糖不耐症)なので、毎日お腹を下していました。笑
参考までに、乳糖不耐症の方でもお腹を下しにくいプロテインに興味ある方は、こちらの記事をどうぞ。(僕も飲んでいます。)
大学生になってもお金を稼ぐのが好きだった。ただし時給労働で。
大学生になり、本格的にアルバイトをはじめましたが、はじめての本格的なアルバイトが「某イタリアンレストランチェーン店」のキッチンのバイトでした。
時給605円でした。今の時給からは想像できないほどの低賃金です。
全国で最低賃金最下位の沖縄であるのにも関わらず、これまでに経験してきた中で一番激務なバイトでした。
僕が働いていた店舗は、売り上げが九州で一番だったにも関わらず、全国最下位の賃金で全国並みに忙しい労働をしていたのです。
閉店あとの清掃後に、翌日の仕込みをしたりと毎日深夜1時頃までバイトしていたので、次の日の大学の講義を寝坊ばかりして単位を落としまくるという本末転倒な働き方をしていました。
社員の方々は、忙しい土日祝日は当然のように休めず、週1回休日がある様子でした。
それを見て僕は、「大人になったら絶対にこんな働き方はしたくない。」と心に決めました。
初めてのバイトが人生で一番キツくてある意味よかったかもしれません。
大学4年の間は半年程度で様々なバイトを経験しようと考えていましたので、このバイトは6ヶ月で辞めました。
その後は、時給が高いコールセンターでアルバイトをしたり、単発のバイトを隙間時間をに入れ込み、ひたすら働いていました。
わずか2時間のバイトでも時給が高ければ、大学の授業の合間を見計らって、バイトを詰め込みました。
その後も、掛け持ちでアルバイトをしまくっていましたが、ある事に気づきました。
「時給労働の発想で働いていては、稼げる額に上限があると。」
時給1,000円で無休で毎日17時間働いても1ヶ月51万円が限界。
休みが一切なく、睡眠時間7時間として計算しても月収が51万円が天井です。
週一回程度の休みを考慮した場合、時給発想で働いていると現実的な上限は44万円程度だと思います。
それ以上の月収を目指そうと思うと、自分が寝ているときにもお金を稼いでくれる分身による「分身所得」が重要です。
自分が母親の脇毛を抜くのではなく、自分の分身に脇毛を抜かして稼ぐ発想が必要なのです。笑
大学生の頃の僕は、そこに気づき「分身所得」を増やすことを心に決めたのです。
なので、現在は、不動産、太陽光発電、ブログアフィリエイト、米国株配当金、自動販売機などで、寝ているときにもお金を稼いでくれる収入源を増やしております。
現在、大小含めて25種類の収入源を持っており、今後もどんどん増やして行きたいと考えています。
派遣バイトで一緒に働いていたおじさん達から学んだ事
多くのバイトを経験した中で、こんな風には絶対になりたくない!と思う事も多々ありました。
ライブ会場のイベント設営などのバイトでは、僕ら派遣バイトをゴミのように扱う社員さんもたくさんいました。
絶対に、そんな大人になりたくないと思うと同時に、「その人らを見返してやる!」と思いながら、黙々とバイトをしていました。
はたまた、様々な事情で派遣バイトをしている40代の先輩方からは、「簿記を絶対に取ったほうがいいぞ!じゃなければ俺らみたいにこの年までこんな仕事する羽目になるぞ!」と人生の先輩としてのアドバイスをもらえたりもしました。
今から10年以上も前から簿記が大事とは言われ続けていますが、現在でも簿記ができる人は、企業からかなり求められているようです。
オフ会以降、仲良くさせてもらっている経理職人「こびと株.com」さん(@kobito_kabu)も、経理業界の転職は熱いと話されています。
大学卒業後は、某緑のアメーバで有名なIT企業に時給850円の契約社員として働きましたが、僕が勤務開始ご2ヶ月で5人が次々と辞めたり、消えたりとしていました。
僕もこのままでは辞めれなくなると思い2ヶ月で辞めました。
実態としては、時給制にも関わらず、多くの社員が休みの日にも会社に出社し、毎日23時、0時頃までバリバリ仕事をしていました。
残業代なしで。
その上、正社員に慣れない社員がたくさんいるのが現状でした。
時給制をうたっている以上、残業代は出すべきだと思いましたし、それ以上に、このような仕組みは経済が回らないと感じました。
長時間時間を拘束されているので、お金を使う機会と場所が奪われていたのです。
その一方で、残業代が支払われないので、消費できる額(収入)が増えるわけでもない。
それでは、お金を使う場所は、社内の自販機か近隣のコンビニぐらいしかありません。
その点などの理由から様々な理由をつけて、すぐさま辞めました。笑
それから3年後、紆余曲折を経て現在のサラリーマンになりました。
サラリーマンとしては、組織としての働き方や、無意味だと思う仕事、生理的に合わない上司などたくさんいます。
以上のように、これまでにさまざまな仕事を経験をした結果、現時点で行き着いた答えは、
「好きな事を好きな人と仕事がしたい。」
です。
最近では、親友が働き方に関するイベントを開催し、僕も登壇者として働き方について登壇もする事もできました。
毎日新聞:「自分に合う働き方を OKINAWA仕事マルシェ 30人参加、事例紹介」
今後は、時代の変化が早いので、今の状況に満足するのではなく、新しいチャレンジや試みをしていかないといけないと感じています。
僕がよく聞くVoicyで有名なサウザーさんも良く言っていますが、「自分で商品を持ちなさい!」と。
僕は、自分だけの商品を持てていないので、今後は差別化された商品を持ちたいと考えます。
自分だけの商品を持つという点では、大学生の頃に自分だけの商品という意味で広告に関するアイデアを自分で特許出願をした事があります。
現実には、大したアイデアでもなかったですし、特許を弁理士に依頼せず出願するだけの自己満出願でした。
これからは、これまでに経験してきた様々な仕事から学んだ事を生かし、新しい働き方、新たな収入を得るために頑張って行きたいと思います。